NO.275 トランプ大統領へのメッセージ その13 ・・・上院での弾劾裁判で、ボルトン氏の証人尋問が行われない事になりました、トランプ大統領への弾劾裁判は、無罪となる事が決まる事になりました。これは、アメリカの選択です。アメリカは、未来への道を模索し続けています。アメリカの選択は、何を生み出すでしょうか?僕は、その結果を注視して、対応を考える事にしましょう。アメリカに経済的に困窮している人々がいます。僕は、資産家の人達に、隣人愛を実行する為に、経済的に困窮している人々を救済するプロジェクトを提案しました。
トランプ大統領のサイトへのコメント
上院での弾劾裁判で、ボルトン氏の証人尋問は行われない事が採決されたと聞きました。トランプ大統領は、無罪になるとの見通しとなりました。これが、アメリカが行なった選択という事でしょう。
アメリカは、選ばれた大統領は、8年間仕事をさせる事が基本的な同意なのでしょう。人は、試行錯誤をします。失敗をしたら、修正をすれば良い。そして、大統領が8年仕事をすれば、その大統領の仕事の区切りになる。
その大統領の評価は、2回目の任期が終わった時点で行えば良いと言う事なのでしょう。今回のアメリカの選択は、トランプ大統領の仕事の評価は、少なくとも今の時点で行うべきでは無いと言う事でしょう。少なくとも、再度の大統領選挙のチャンスを提供すべきであると言う事。
僕個人の意見では、彼に、次の四年間の任期を託す事が望ましいと思っています。次の四年間の終わりの時に、評価が為されるべきであると思っています。
しかし、それを決めるのは、僕では無い。アメリカです。僕は、アメリカの選択を見届けます。この僕の方針は、今までも、これからも一貫しています。
アメリカが下す結論に、僕は、無条件の賛成はしません。ただし、僕はアメリカの結論を、尊重し信頼します。僕は、アメリカに問題提起をし続けます。そして僕は、アメリカの応答を見届けます。
アメリカは、自らが選択したイデオロギーに誠実(Sincerity)です。アメリカは、信頼するに値します。
更に言えば、アメリカの心の奥底には、神様を恐れる信仰があります。人間が、何を主張しようとも、神様だけが真実です。人間は、神様の真実を、聖書を解釈して求めるより選択肢はありません。そして、人間は、聖書の解釈を誤る可能性が常にあります。人間は、この事を前提として、自分自身の良心に責任を負って、聖書を解釈しなければなりません。
人間は、完全に信頼を置ける存在ではありませんが、神様を恐れる信仰を持つ人間は、最も信頼のおける存在だと思います。
日本人である僕の目には、共和党も民主党も、本質的に同じに見えます。共和党も民主党も、アメリカの建国の父達の後継者です。共和党も民主党も、共同の目的の為の仕事を、建国の父達から受け継ぎます。共同の目的とは、アメリカの建国です。共和党と民主党は、その共同の目的の実現の方法に、違いがあると言う事なのでしょう。
日本人の社会学者の小室直樹先生は、アメリカ建国の事業は、現在も継続していると指摘しました。
小室先生は、全てのアメリカ人は、一つのイデオロギーを共有していると指摘しました。
「明日のアメリカが、どんなアメリカになるかはわからない。しかし、明日のアメリカは、今日のアメリカより、よりアメリカらしいアメリカになる。」全てのアメリカ人は、そのように信じている。日本人である小室先生は、そう指摘しました。
アメリカは、今もフロンティアを開拓し続けているのかも知れません。世界情勢は、常に、変化し続けています。世界情勢は、過去の情勢の繰り返しでは無い。未来の世界情勢は、全く新しい世界情勢である。世界情勢は、常に新しい情勢が生み出され続けている。それが、歴史なのでしょう。
アメリカにとって、目の前の情勢は、常に未開拓のフロンティアなのでしょう。アメリカは、常に、目の前に存在するフロンティアに、開拓の為の一歩を踏み出し続ける。
それが、アメリカの行動原理なのでしょう。
だから他の国々は、まず、アメリカの行動を注視する。他の国々にとって、目の前の道のフロンティアには、そこに何が潜んでいるかわからない。
アメリカが、開拓の一歩を踏み出すと、フロンティアに潜んでいた様々なものが浮かび上がってくる。他の国々は、それを見て対応を決める。そう考えると、現在の世界情勢は、理解できそうな気がします。
僕のコメントに対して、次の返信がありました。
“I don't know what is about to happen. I do know I don't feel good about it.”
これに対する僕の返信です。
“I am sorry.僕は、アメリカの人々の生活の、実情を知らないのです。だから、希望的憶測を述べているのかも知れません。
ただ、好ましい変化を実現かるような提案をしてゆきましょう。どれほどの事を、僕ができるかはわかりませんが。”
資産家の皆さんに問いかけます。禁欲的プロテスタントの人達は、人が職業労働に従事する事は、神様の命令であると解釈しています。しかし、金銭的な利潤を追求する事を、神様は人間に命令してはいないかも知れません。
「憐み深い人々は幸いである。その者達は、憐みを受けるであろう。」日本語版の聖書に、この記載があります。神様がある人を憐む為に、神様は、その人に隣人愛を行う機会を与えるかも知れないと思います。
優れた才能を授けられた人が、経済的に困窮している人達を見て、「私なら、この人達が経済的困窮から脱するプロジェクトを構築できる。」と判断する事もあるでしょう。その人は、そのプロジェクトを実行する事を神様から示唆されたと認識するかも知れません。その人が、このプロジェクトに従事する事は、職業労働として成立すると思います。どうでしょうか?
以前も言及しましたが、コストが殆どゼロの強力なエネルギー源が実現すれば、産業の生産コストは、殆どゼロになります。商品の価格は、人件費になります。企業は、神様の命令に従う守る目的で、労働者を労働に従事させる事が可能になる。そして企業は、賃金を支払う事が可能になると思います。
前回の記事
TOP記事
Lady MさんへのMessage
コメント
コメントを投稿