NO.204 予定調和(Monad) アメリカ人の世界観
結論。アメリカ人の世界観。アメリカが神様の御心に適う(suitable)なら、神様の栄光がアメリカに実現する。
起源はアメリカの禁欲的プロテスタントの新約聖書の解釈
宗教改革者のカルヴァンと、彼の後継者達は、人が職業労働に従事する事は神様の命令であると解釈した。
人は日常生活の中で、その人の全ての人格と全て行動を、目的合理的に構築して、職業労働に従事しなければならない。マックスウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の中で、この事を提起した。
小室直樹先生は次のように解説した。まず、伝統主義社会の行動様式(Ethos)。人は、社会的習慣に従った行動を日常生活の中心にしなければならない。その他の行動、例えば職業労働は、社会的習慣の妨げにならない範囲で行わなければならない。伝統主義社会では、このように考えられている。
歴史上、世界の殆ど全ての社会が、この伝統主義社会である。ただし、ただ一つの例外が存在している。
カルヴァニズムは、人々の行動様式(Ethos)を根本的に変革した。その人の全人格とその人の全ての行動を、特定の目的実現の為に目的合理的に再構築する。この行動様式(Ethos)の変革を、カルヴァニズムは実現した。
マックスウェーバーは、「これは、歴史上唯一の社会革命の思想である。」と指摘した。小室直樹先生は、マックスウェーバーのこのコメントを紹介した。
カルヴァンは、人が職業労働に従事する事は、神様の命令である解釈した。そしてカルヴァンは、人が職業労働に従事する事は、その人の救済とは関係ないと解釈した。
ある人が救済されるか否かは、天地創造の以前に、神様が既に決めている。神様は、人類の大部分の人達を、天地創造の以前に永遠の死に定め、少数の者達を救済に定めた。この神様の決定に変更はない。人間の努力では、神様の決定を変更する事はできない。
これは、予定説です。新約聖書のローマ人への手紙(Epistle to the Romans)のテーマです。
人が職業労働に従事する目的は、その人の救済の為では無い。人は、神様の命令を守っても救済されない。・・・この言い方は、正しく無い。滅びに定められた者達は、神様の命令を守る事ができない。ただ、誰が神様の命令を守っていて、誰が神様の命令を守れないかは、人間には判断できない。
人は、神様の栄光を高める為に、職業労働に従事しなければならない。
このカルヴァニズムが、禁欲的プロテスタントのイデオロギーの起源です。
禁欲的プロテスタンティズムの禁欲とは、目的実現の為に、全ての人格と全ての行動を目的合理的に再構築する為に、人間本来の欲望を制御する事です。
禁欲的プロテスタントのイデオロギーの変遷の原理
カルヴァニズムは、禁欲的プロテスタントにとって、底無しの恐怖でした。禁欲的プロテスタントは、その人が救済に定められているか永遠の死に定められているか知る事ができない。
人間は、努力しても、天地創造の以前に為された神様の決定を変更する事はできない。
この予定説の恐怖から解放される事が、カルヴァンの後の時代の禁欲的プロテスタントの目的となったでしょう。
僕は、多くの禁欲的プロテスタント達が、カルヴァンの聖書の解釈に疑問を持っただろうと思います。
キリスト教の正統性の根本は、全て、聖書にあります。聖書の記述だけが真理である。人間が聖書を解釈しても、解釈を間違える事は有り得る。
ルターやカルヴァンの教義は、彼ら自身の聖書の解釈です。
ルターの教義もカルヴァンの教義も、三位一体説(Trinity)を前提としていると聞きました。僕は、三位一体説(Trinity)に疑問を持っています。
僕の聖書の解釈に関した記事です。よろしかったら、参照してください。
ここでの事は、NO.171の記事で言及しています。
アメリカの禁欲的プロテスタントは、その人自身で聖書を解釈すると聞きました。親は、我が子に、そのように教育すると聞きました。
アメリカの多くの禁欲的プロテスタントは、過去の宗教指導者達の聖書の解釈に疑問を持つだろうと思います。
彼らは、努力に努力を重ねて、聖書の解釈をしているだろうと思います。
神様の御心に適うのなら、神様の栄光が実現する。
これが、アメリカの禁欲的プロテスタントが辿り着いた結論だったと思います。
ある禁欲的プロテスタントの行動が、神様の御心に適うのならば、その人の行動の結果として、神様の栄光が実現する。神様の栄光が実現した事は、その人が、救済に定められている証拠となる。
職業労働に従事した者が、職業労働の結果として利益を得る事は、神様の栄光が実現した事である。これが禁欲的プロテスタントのイデオロギーでしょう。
アメリカの禁欲的プロテスタント達は、予定調和(Monad)にたどり着いた。
神様の栄光は、宇宙の法則に従った現象の進行によって実現する。
この事は、奇跡に言及すれば理解の助けになると思います。
上の、NO.170 キリスト教の原理 その1 奇跡について ですね?
奇跡とは、決して起こり得ない事が生起する事です。神様は、宇宙を創造した。神様は、宇宙の法則を創造した。決して起こり得ない事とは、宇宙の法則に反する現象です。奇跡とは、宇宙の法則が変更された事を意味します。宇宙の法則の変更を為し得るのは、創造者である神様だけです。従って、奇跡とは、神様の力が働いた証拠です。
ここで、新約聖書の福音書には、ヨナの奇跡を除いて、奇跡は人間に与えられる事はないだろうと記されています。
宇宙のすべての現象は、宇宙の法則に従って進行する。新約聖書の福音書のその部分の記述は、僕はそう解釈します。
神様の栄光は、奇跡によっては実現はしません。神様の栄光は、宇宙の法則に従った現象の進行により、実現します。
神様は、神様の計画の為に天地を創造した。神様の計画の目的を実現させるプログラムを組み込んで天地を創造した。神様の計画の目的は、宇宙の法則に従った現象が進行する事により実現する。
神様の栄光は、宇宙の法則に従った現象の進行の結果、実現する。
アメリカが神様の御心に適う(suitable)なら、神様の栄光がアメリカの中に実現する。
アメリカの人々が、原爆投下を肯定する理由は、ここにあると思います。
アメリカの原爆投下の結果、第二次世界大戦は終わった。アメリカ人も日本人も、それ以上犠牲になる事は無くなった。日本の国は、ファシズムをやめて、人権が保障される民主主義国家になった。
この事を、アメリカ人は、神様の栄光が実現したと解釈するのでしょう。
ただ、アメリカの人々は、心の奥底で葛藤していると思います。アメリカは、最後まで、原爆の使用を回避しようとしていたようです。東京大空襲(Bombing of Tokyo)なども、アメリカは、最後まで回避しようとしていたようです。
当時の日本は、カミカゼや玉砕や一般市民の集団自決を繰り返し続けた。これらは、国際法の戦争法規に真っ向から違反する行為です。
国際法の戦争法規は、戦争が無差別殺戮にエスカレートする事を抑止する為の規定です。
アメリカ人には、日本人が、生命を捨ててアメリカ人を殺戮しようとしているとしか判断できなかったでしょう。
アメリカは、日本人にこれ以上の殺戮をさせない為に、原爆投下に踏み切った。
アメリカの人々は、今でも、原爆投下は本当に正しかったのかと、心の奥底で葛藤していると思います。
人間は、聖書の解釈を間違える可能性があります。禁欲的プロテスタントは、この事に対する強い問題意識を認識しているでしょう。
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