NO.171 キリスト教の原理 その2 三位一体(Trinity)では無いかも知れない。
三位一体(Trinity)では無い。
子(イエス・キリスト)も聖霊も、天の父の計画を知らない。
僕は、そう解釈します。
「その時がいつ訪れるのか、子も聖霊も知らない。ただ、天の父だけが知っておられる。」
イエスキリストは、福音書で、そう語っています。
子(イエス・キリスト)は、被造物(creature)を裁く権威を有する。聖霊は、神の言葉を人に伝える。子(イエス・キリスト) も聖霊も、被創造物(creature)の範疇には属さない。この両者は、神の範疇に属する。
しかし、この両者は、神の全てでは無い。
数学の集合論で考えましょう。
神を全集合とします。子(イエス・キリスト)と聖霊は、神の部分集合です。神の全集合には、子(イエス・キリスト)と聖霊以外の部分がある。その部分が、天の父です。
神御自身の計画は、天の父に属します。子(イエス・キリスト)と聖霊は、神の計画に対する権威を有しません。
僕は、そのように解釈します。
三位一体(Trinity)では無いと、僕は解釈します。
この事は、何を意味するでしょうか?
新約聖書に記されている事は、神様の最終的な御心では無い可能性が示唆されます。
天の父は、子(イエス・キリスト)を、人間の世界にお遣わしになった。
人間に、新しい契約を伝える為です。
イエス・キリストは、神様の全ての真理を御存知では無いのです。
イエス・キリストは、その時点において、人間が知る事を許されたことのみを伝えたと解釈できる可能性があります。
今後、時が来れば、神様の、新しい真理の封印が解かれる時が来るかも知れない。
この事は、多くの人々にとって、救いの可能性となると思います。
新約聖書のローマ人への手紙のテーマ : 予定説(Predestination)。
人類のうち、救済に定められている者達はごく少数であり、大多数の者達は、滅び(perdition)に定められている。
神様は、この選別を、天地創造の以前に既に定めている。変更は、有り得ない。
これが、ローマ人への手紙のテーマです。
三位一体説(Trinity)を前提とすると、新約聖書の記述は、神様の最終的な御心であり、変更は絶対にあり得ない。
しかしながら、三位一体(Trinity)でないならば、神の真理の新たな封印が解かれる可能性がある事になる。
カルヴァニズムは、三位一体説(Trinity)を前提としていると聞きました。
カルヴァニズムは、予定説(Predestination)を教義の中心に位置付けたと聞いています。
禁欲的プロテスタンティズムが、そうだったと聞いています。
予定説(Predestination)は、禁欲的プロテスタントの精神を恐怖で追い詰めたでしょう。
禁欲的プロテスタントにとって、神様が彼を救済に定めているか、神様が彼を滅び(perdition)に定めているかが最重要な課題だったでしょう。
カルヴァニズムでは、個人には、その人が救済されている証拠は、一切与えられないと解釈されていた。
しかしながら、カルヴァンの後の禁欲的プロテスタント達は、職業労働にその解決策を見つけ出しました。
職業労働に従事する事は、神様の命令である。カルヴァンも、そう解釈しました。
職業労働で成功する事は、その人が救済に定められている証拠である。カルヴァンの後の時代、禁欲的プロテスタントは、そう解釈するようになりました。
神様の御心は、大宇宙の法則に従った現象の進行により成就する。
僕は、NO171その1の記事で、この解釈に至った経緯について言及しました。
禁欲的プロテスタントは、その人なりに僕と同じ解釈に至ったのだと思います。
新約聖書は、その全体において、論理の整合性が成立しているように思います。
職業労働に従事する禁欲的プロテスタントは、その人の周囲の世界に、神様の御心が成就する現象を見つけようとしたのだと思います。
「予定説(Predestination)の恐怖から解放されたい。」この衝動が、禁欲的プロテスタントの精神を支配し、彼らの行動が、近代社会を成立させた。そう理解します。
歴史上、一度だけ、人々の行動様式が根本的に変革された。これは、歴史上唯一の社会革命であると、マックスウェーバーは指摘した。
特定の目的の為に、その人の全ての人格を、目的合理的に再構築する。
この行動様式の変革が、歴史上一度だけ実現した。
以上、三位一体(Trinity)を前提として、予定説(Predestination)の恐怖の衝動が人々の精神を支配した結果、生み出された事について言及しました。
三位一体(Trinity)でない事を前提としたら、何が生み出されるでしょうか?
神様の真理の封印が新たに解かれる可能性が、認められる事になります。
神様の真理の封印が新たに解かれる事は、天地が変革される事を意味します。
これは、革命思想です。
人間は、その封印が、いつ解かれるかを知る事はできない。人間は、その封印が存在しているかどうかも知る事はできない。
これは、究極の革命思想です。
禁欲的プロテスタント達は、予定説(Predestination)の恐怖から解放される事を求める衝動に支配され続けます。
そして、禁欲的プロテスタント達は、希望を見つけ出そうとして聖書を解釈し続けます。
禁欲的プロテスタンティズムは、カルヴァンの時代以降、次第に教義が変化してきているだろうと、僕は、思っています。
禁欲的プロテスタントは、常に、新しい希望を見つけ出そうとし続けていると思います。
禁欲的プロテスタントは、イノベーションを実現させるでしょう。そして、彼らは、危機に際して、解決策を見つけ出すでしょう。
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