NO.160 江戸時代末期、江戸幕府から明治政府への政権の移譲は、江戸幕府が主導権を握って行われた。 ・・・ テーマラベル : 日本政府の危機管理能力の不在。致命的でしょう。
江戸時代末期、江戸幕府から明治政府への政権の移譲は、江戸幕府が主導権を握って行われた。
僕は、そう思います。
前回の記事の最後で言及しました。江戸幕府は、既存の計画を全て白紙に戻して、新しい計画をゼロから作り上げる事を為し得たと思います。
江戸の町の大半が焦土と化した明暦の大火(Great fire of Meireki)の後、江戸幕府は、江戸の町を火災に対応できる都市に作り替えました。
既存の都市計画を白紙に戻し、ゼロから新しい都市を作り上げました。
火災後の復興の為の、物流システムまで整備しました。
江戸幕府は、状況を適切に分析して、必要な施策を採用する事ができました。
その為に、既存の計画を白紙に戻しました。
徳川13代将軍家定の妻の天璋院は、NHKの歴史ドラマでも描かれました。僕は、彼女が有能な政治家だっただろうと思っています。
江戸城明け渡しは、西郷隆盛と勝海舟(Katu Kaisyu)の話し合いで成立しました。
しかし、この成功の鍵を握っていた者は、天璋院だったと思います。
勝海舟(Katu Kaisyu)を、評論家の山本七平氏は、当時の世界第一級の政治家と評しました。
勝海舟(Katu Kaisyu)は、江戸時代末期の幕府軍と薩摩長州連合軍との戦争で、幕府軍が勝利する作戦を理解していました。
その作戦を理解していた者は、勝海舟(Katu Kaisyu)だけでは無かったとの事です。
幕府の海軍力を利用して、大阪湾から、薩摩長州連合軍を攻撃するものでした。
明治政府の松方正義に、何故、その作戦を実施しなかったのかと、勝海舟(Katu Kaisyu)は質問された。
「幕府がその作戦を実行したら、薩摩長州軍は、天皇を連れて西国に敗走する。
日本は、東西を二つに分断する内戦状態になる。
幕府はフランスから借金をする。薩摩長州はイギリスから借金をする。
そんな内戦が、五年間も続けば、どうなりますか?」
松方正義は、勝海舟(Katu Kaisyu)にそう言われたらしい。
日本は、開国を余儀なくされた。帝国主義時代の世界情勢の中で、日本が生き延びる為には、幕府が新政府に政権を移譲するしか選択肢は無い。
これが、幕府の結論だった。
幕府は、この政権移譲のプロジェクトのリーダーに、一下級武士だった勝海舟(Katu Kaisyu)を起用した。これだけの柔軟性を、政権末期の江戸幕府も、備えていたと言う事でしょう。
この勝海舟(Katu Kaisyu)の起用は、天璋院のマネジメントによるものでしょう。
勝海舟(Katu Kaisyu)は、下級武士だから、幕府軍も薩摩長州軍も、十分に信頼しなかったでしょう。
しかし、天璋院は、この両方からの信頼を得る事ができた。
だから、江戸城明け渡しは成功した。
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