NO.135 僕は、ノーベル賞に対して、激しい不快な衝動が精神に生じます。激しい疎外感です。 この疎外感は、社会学に概念がある、アノミー(Anomie)と称される社会現象によるものだろうと、僕は思います。 僕は、大勢の人々が、僕と同様の疎外感を認識していると思います。 ノーベル賞は、カリスマ(Charisma)を持ちます。カリスマ(Charisma)の担い手は、時としてアノミー(Anomie)を引き起こします。 ・・・ テーマラベル : ノーベル世界平和賞について
僕は、ノーベル賞に対して、激しい不快な衝動が精神に生じます。激しい疎外感です。
この疎外感は、社会学に概念がある、アノミー(Anomie)と称される社会現象によるものだろうと、僕は思います。
僕は、大勢の人々が、僕と同様の疎外感を認識していると思います。
ノーベル賞は、カリスマ(Charisma)を持ちます。カリスマ(Charisma)の担い手は、時としてアノミー(Anomie)を引き起こします。
問題提起を、しましょう。今の時代に、ノーベル賞は必要無いと思います。ノーベル賞の存在意義は、今は、本来の趣旨とは異なったものになっていると僕は判断します。この事が、根拠です。
ノーベルが生きていた時代には、人類に貢献しても報われるとは限らなかったのでしょう。ノーベルは、このことに問題意識を持って、人類に貢献した人に報いる為に、ノーベル賞の設立を遺言したのでしょう。
しかし、今の時代は、ノーベル賞を受賞した人は、ノーベル賞を受賞しなくても、十分に報われています。
今のノーベル賞は、既に十分に報われている人に更に恩恵を与える為の賞なのでしょう。
ですから僕には、ノーベル賞受賞者を褒め称える義務はないでしょう。
彼らは、ノーベル賞を受賞しなくても、十分に名誉を与えられている人達でしょうから。
日本では、ノーベル賞受賞者は、偉人として扱われています。ノーベル賞受賞者が、たまたま偉人であることも有るでしょうが、本来、偉人とは別のジャンルの人達でしょう。
僕は、日本人がノーベル賞を受賞する事が嫌です。日本人が受賞すると、僕は、激しい疎外感に精神を支配されます。
遠い異国の人が受賞するなら、僕が自覚するは疎外感は、軽いものになります。
これらの事を発言することにより、僕は、疎外感から解放されます。僕は、疎外感から解放される為に、僕は、これらの事を述べています。
僕は、この疎外感の原因を、見つけ出そうとしています。
スウェーデン政府も、ノルウェー政府も、外交政策としてノーベル賞制度の運営を行なっているのでしょう。ノーベルウィークは、外交政策としてのセレモニーでしょう。
ノルウェー政府も、スウェーデン政府も、世界情勢の中で、自国を存続させる事を全てに優先させるでしょう。アメリカとソビエトの間の冷戦の時代、隣国のフィンランドには、自国の独立を脅かされる苦難の時代がありました。
ノルウェーもスウェーデンも、苦難の歴史を今日まで、生き延びてきたのでしょう。
世界の国々にとって、ノーベル賞受章者を輩出する事は、その国の利益になるのでしょう。
ノルウェーもスウェーデンも、この事を利用する。
人類に貢献した人に報いる事が、目的ではない。
全ては、国家の存続のためです。
ノルウェー政府もスウェーデン政府も、国民に対する責任を果たす手段として、ノーベル賞を選択した。
従って、僕は、この両政府の選択を、支持します (^^
ノーベル賞の選定が、公平でない事が問題視されるようですが、こんな事は、問題にならないでしょう。
ノルウェー政府もスウェーデン政府も、自国の利益となるように、受賞者を選定するでしょうから。
その為の、ノーベル賞なのですから。
ノーベル賞にはノーベルの遺言に従った本来の主旨が今も継承されているだろうと、僕は盲目的に信じていました。
ところが現実は、ノーベル賞は、スウェーデン政府とノルウェー政府の外交目的の為に運営されています。両政府によるノーベル賞の運営は、ノーベルの遺言に従った本来の趣旨に従ったものとは、極めて異質的になっているでしょう。
多くの人々は、今のノーベル賞に、本来の趣旨が受け継がれていると信じる事を欲すると思います。その為に、ノーベル賞の理想と現実との間のギャップに、激しい虚無感を自覚する人は多いと思います。
ノルウェーやスウェーデンの人達も、この虚無感を自覚するかも知れません。ノーベルウィークに参加する学生さん達も、この虚無感を自覚するかも知れません。
このノーベル賞の本来の趣旨と現実のノーベル賞との間のギャップが、僕の自覚する疎外感の原因です。
この疎外感の本質は、アノミー(Anomie)でしょう。
僕が自覚する疎外感を表現すると、「精神が、未知の空間を漂う状態。」です。
僕は、大勢の人達に囲まれて生きているのに、僕は、孤独の世界に存在している感覚です。
ノーベル賞に疎外感を自覚される人達が、僕と同様の自覚をしているのならば、僕の今のアノミー(Anomie)の説明に共感を認識すると思います。
全世界には、困難の渦中にあり、救いの手が差し伸べられる事を必要としている人々が多いと思います。
そして、困難の渦中にある人々は、ノーベル賞が自分達に救いの手が差し伸べられる契機となる事を欲していると思います。
ここで、全世界のマスメディアは、ノーベル賞が、ノーベルの遺志を継承し続けていると宣伝し続けています。
そして、ノルウェー政府もスウェーデン政府も、ノーベルの遺志が今も受け継がれているポーズをしながら、ノーベル賞を運営し続けています。
その為に、困難の渦中にある人々は、ノーベル賞が自分達に救いの手を差し伸べてくれる事を信じ続けると思います。
そして、裏切られることになる。
これは、アノミー(Anomie)の原因となります。
アノミー(Anomie)は、その人の精神に、他者や、その人自身に対する攻撃衝動を生み出します。
アノミー(Anomie)に陥った人々には、自殺者が増えます。
急性アノミー(Acute Anomie)について。アノミー(Anomie)の一つです。社会学では、ヒトラーフロイトの定理と称されていると、小室直樹先生は、言いました。急性アノミー(Acute Anomie)の原因は、人が信じ切っていた対象に裏切られる事です。
ノーベル賞は、カリスマ(Charisma)を持ちます。人々は、無条件にノーベル賞を信じます。
カリスマ(Charisma)の所有者が、信じる人々を裏切った時、裏切られた人々は、急性アノミー(Acute Anomie)に陥ります。
急性アノミー(Anomie)による攻撃衝動の特徴は、敵と味方を識別しない無差別な攻撃性です。
著しいアノミー(Anomie)に支配されている人は、狂人に見える。しかし、精神分析医がその人を診察しても、正常と診断します。
そして、アノミー(Anomie)に陥った人を、周囲の人達が精神分析医の診察を受けさせると、無差別暴力が激化すると小室先生は指摘しました。
精神が正常であるにも関わらず、その人が周囲の人々に精神異常であると断定された事が、その原因である事を、小室先生は指摘しました。
仮に、ノーベル賞が、全世界の多くの人々の精神に、アノミー(Anomie)を生じさせるなら、いずれ、悲劇の情勢が生起する可能性があるでしょう。
例えば、今回のエチオピア首相のノーベル世界平和賞受賞は、エチオピアの人々は、自分たちの困難に、救いの手が差し伸べられる可能性を信じるでしょう。
しかし、エチオピアの人々が、信じたのちに裏切られたら、悲劇が起こるかも知れません。
僕は、前回の記事で、この可能性を指摘しました。
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