NO.134 ノーベル世界平和賞 2019年は、エチオピアの首相アビー・アハメド(Abiy Ahmed)首相の受賞が決まりました。この受賞が、彼に、どのような影響を及ぼすでしょうか? ・・・ テーマラベル : ノーベル世界平和賞について
ノーベル世界平和賞2019年は、エチオピアのアビー・アハメド(Abiy Ahmed)首相の受賞が決まりました。この受賞が、彼に、どのような影響を及ぼすでしょうか?
重要な点は、一つ目は、エチオペアの人々が、ノーベル世界平和賞の恩恵をシェアされるか否かでしょう。
エチオピアは、隣国との紛争以外にも、様々な問題を抱えているでしょう。
問題に直面している人々は、直面している問題が解決される事を、切に望み続けているでしょう。
その問題が解決されなければ、問題に直面している人々は、自分達が置き去りにされている感覚に陥るでしょう。
エチオピア国内で、問題に直面している人々の問題が解決されなければ、ノーベル世界平和賞は、何の意味もなくなります。
エチオピア首相のノーベル世界平和賞受賞の決定により、一時的に、自分達にも救いが及ぶかもしれないと思った人達も、失望に陥るでしょう。
そうなったら、ノーベル世界平和賞により、エチオピアの人々は、自分たちが見捨てられた存在である事を、確認することに至ります。
首相が、ノーベル世界平和賞を受賞しなければ、エチオピアの人々は、自分達が見捨てられている事を、確認しなかったでしょう。
エチオピアの人々は、一度希望を抱いて、裏切られる。その場合に、希望を裏切られた人々は、激しい憎悪を抱くことになるでしょう。
エチオピア首相が、ノーベル世界平和賞を受賞する事により、事態は、より悪くなる。
このような事は、過去にも、繰り返されてきたでしょう。
エチオピア首相だけが、恩恵を受けます。彼は、ノーベル世界平和賞の賞金を、亡命資金にする事ができます。
彼は、今までも、常に自分が置かれた状況に強い危機感を抱き続けてきたでしょう。
ノーベル世界平和賞受賞決定直後に、彼の映像を見ました。その映像から、今は、判断します。
彼は、誠実な人のように見えます。
彼は、自分が置かれた危機の状況を克服しようとし続けてきたのでしょう。
その為に、隣国との紛争を、平和的に解決しようとしてきた。
現在、一時的には、それに成功している。しかし、一時的な成功である可能性がある。
彼自身、この事を理解している。彼は、自分が置かれた情勢に対して、適切な洞察を為し得るでしょう。そうで無ければ、彼は、今の地位を獲得できなかったでしょう。
彼は、置かれている状況の困難に対して、自分自身の限界を判断すれば、亡命を選択するでしょう。
エチオピアに限らず、多くのアフリカの人々が直面する問題は、貧困と、地域紛争でしょう。
エチオピアの首相は、現段階では地域紛争を解決した。
しかしながら、エチオピアの人々が直面している貧困は、解決されていない。
エチオピアの人々にとって、この両方の問題から解放されないと、苦しみから解放されない。
アフリカの人々にとって、地域紛争で、両陣営が使用している武器は、西欧社会で製造された武器です。
その武器が、西欧社会の商人によって、地域紛争の両陣営に渡る。
その為に、地域紛争が破壊的になり、多くの人々が難民となって国外に逃れなければならなくなっている。
この事が、アフリカの人々の認識の背景にある。
この状況で、首相だけがノーベル世界平和賞を受賞し、巨額の賞金を得ました。
エチオピアの人々にとって、自分達の貧困は、解決されない。
そして、解決された紛争が再発したら、エチオピアの人々にとって、首相だけがノーベル世界平和賞を受賞し、賞金を贈られた事実だけが残ることになります。
エチオピアの人達にとって、自分達の首相は、西欧社会に恩恵を与えられる為に選ばれた者であり、自分たちは見捨てられた者である。
ノーベル世界平和賞は、エチオピアの人達に、この事を確認させるになるでしょう。
僕は、そう思います。
エチオピアの人々にとって、自分達の首相は、賞金を与えられて、亡命者となって国外に逃れる事ができるが、自分達は難民にならなければならない。
エチオピアの人達の心に、激しい憎悪が生み出されることになるでしょう。
そして、エチオピアの首相を敵と認識する者達が、自己防衛の為に、攻撃を激化させるでしょう。
彼を敵と認識する勢力は、彼のノーベル世界平和賞受賞を、自分達を破滅に追いやろうとする事であると認識するでしょう。
政治家がノーベル世界平和賞を受賞する事は、彼の政敵にとっては、破滅の危機に追いやられる事を、意味するのではありませんか?
エチオピアでは、複数の相互に敵対する勢力が存在していて、首相を敵と認識している勢力が実在しているでしょうから。
彼がノーベル世界平和賞を受賞する事により、情勢は悪化するかも知れません。
ノルウェー政府もスウェーデン政府も、僕が上で述べた事は、考える事が無いでしょう。
この両政府にとって、ノーベル賞は、外交政策の一つでしょうから。
隣国のフィンランドは、アメリカとソビエトとの間の冷戦時代に、独立を脅かされる患難に直面し続けました。
ノルウェー政府とスウェーデン政府にとって、ノーベル賞は、世界情勢の中で自国の存続を維持させる外交政策の一つでしょう。
その為に、これら両政府の関心は、各国政府にのみ向けられているでしょう。
前の記事でも述べましたが、僕は、ノーベル賞の話題に接すると、激しい疎外感を自覚します。
このことには、何かの原因があるだろうと思っています。
社会学には、アノミーという社会現象の概念があります。
アノミーは、人が社会の現象を認識する事により、精神が疎外感に支配される現象であると、僕は理解しています。
ここで一つの主張をします。これは、僕の内面の問題です。
他者が僕のこの問題に干渉する事は、拒否します。
その理由は、僕のこの内面の問題に関して、他者が診断などを行ったならば、僕はより激しい空虚感に心を支配されるでしょうから。
で、敢えて、僕が以上の事を発言した理由は、そうすることにより、僕が心の虚無感から解放されるからです。
僕が、ノーベル世界平和賞をテーマにして発言することにより、僕は、ノーベル世界平和賞を、僕が存在している世界に引き込む事ができる。
それにより、僕の心は、虚無感から解放される。
僕と同じ虚無感を自覚されている人達が多いならば、僕の記事に共感を得ていただけるでしょう。
その人達に、僕の記事は閲覧されるでしょう。
そして、この事は、社会情勢に、多くの人々に虚無感を自覚させるダイナミズムが存在している事を意味します。
コメント
コメントを投稿