NO.088 キリスト教徒は、どう対応するだろうか?・・・ テーマラベル : サウジアラムコの200兆円の信用創造(Money creation)が建設するDar al-Islam。カテゴリーラベル : 宗教社会学、ジハード、キリスト教徒、イスラム教徒
サウジアラムコが、中東からアフリカ全土に、イスラム世界を築き上げても、キリスト教徒にとって、まるで問題無いと思います。
現在の国際社会は、キリスト教による世界です。仮に、この国際社会全体が、イスラム世界になっても、キリスト教徒にとって、まるで問題ないと思います。
カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい = “Render unto Caesar the things that are Caesar's, and unto God the things that are God’s”
イスラム世界では、キリスト教徒は、ムハンマドのものを、ムハンマドに返せば良いのです。
キリスト教徒にとって重要な事は、キリスト教徒が、自らの良心の内において、神の御前に向かい合う事です。
キリスト教徒は、内面と外面を峻別しなければなりません。被造物としての人間は、世俗の世界で生きてゆきます。
そして、世俗の世界の倫理規範に従わなければなりません。
キリスト教徒は、世俗の世界が、カエサルの世界なら、カエサルの倫理規範に従わなければなりません。
キリスト教徒は、世俗の世界が、ムハンマドの世界なら、ムハンマドの倫理規範に従わなければならない。
しかしながら、キリスト教徒にとっては、内面における信仰こそが重要であり、守り抜かれなければなりません。
前回の記事で、言及したことを繰り返します。
イスラム教徒は、イスラム教を布教する義務を負います。その理由は、イスラム世界でない世界は、戦争世界だからです。
イスラム教徒は、戦争世界をイスラム世界にする義務を負います。
その為に、イスラム教徒は、イスラム教を布教する義務を負います。
しかしながら、個人にイスラム教の信仰を強制する事は、許されません。
イスラム教徒は、イスラム世界の中に、キリスト教徒に、安住の世界を提供します。
前回の記事でも書きましたが、一部のイスラム教徒が、自殺爆撃を行う理由は、国際社会がキリスト教の世界だからなのかも知れません。
国際社会が、キリスト教の世界だから、教師は、聖典を解釈して、「自殺爆撃は、ジハードである。」と、判断するのかも知れません。
イスラム教では、人は、アッラーの真理を理解できないと考えます。
教師には、聖典を、自分自身で解釈する事を要求します。
人間は、弱い存在ですから、環境次第で、教師の聖典の解釈は、変わってくるでしょう。
イスラムの世界であったならば、教師は、「自殺爆撃は、ジハードである。」とは、解釈しなかったかも知れません。
この事を理解したら。敬虔なキリスト教徒は、苦しむでしょう。国際社会が、キリスト教社会であった事が、一部のイスラム教徒の、つまづきの石となった。
そのようなイスラム教徒の為にも、イエスは、十字架で血潮を流したのである。
イスラム教徒は、キリスト教社会で生まれたビジネスに、参加します。
キリスト教徒が、キリスト教の倫理規範を守っていたら、イスラム教における、アッラーの道に違反しないでしょう。
仮に、国際社会が、イスラムの世界になっても、キリスト教徒にとっては、何も問題は無いでしょう。
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